先に、「惜しむらく」と書いたのは、法科大学院では、提供すべき授業がすべて提供されているということである。回り道で出会う奇貨を得る機会が乏しいといえる。だが、岡山大学法科大学院には、多様な選択科目が用意されている。そこには奇貨を得る機会は開かれているのである。

http://www.lawschool.okayama-u.ac.jp/tp/topix/topix_id6.html

法科大学院を志望し、または在学する人たちの目標は、一部の例外を除いて、皆共通でしょう。目標達成には、与えられた資源(自己の能力、勉強のための時間、生活環境など)をいかに効率的に配分するかが、カギとなる。効率的に目標達成の力をえるには、やはり法律科目に重点的に自己のもつ資源を投入するのが、合理的であろう。
 岡山大学法科大学院でも、もちろん、法律科目の能力を培うのに必要十分なカリキュラム・勉強環境が整備され、提供されている(このような提供がされない法科大学院は、法科大学院たりえない)。
ただ、これは「惜しむらく」の感がしないではない。

内容は商法とは無関係であったが、この授業によって得たものは、ドイツ語の読解能力(私自身はこの能力はほとんど失われつつある)にとどまらず、もっと広くかつ奥深いものであった。自分の目標(博士課程進学、ドイツ商法文献の読解力獲得)からすれば、回り道であるが、やったかいがあったと今でも思っている。


(コメント)
1000万以上の借金をして、会社を辞めて、入学し、挫折し、途方にくれている人、
三振して自殺してしまった人、
そのような人がいて、
入学志望者の激減、定員割れ、事業仕分けで無駄呼ばわりされている、というのに、
法科大学院教授の、この、呑気ぶり。
あきれるほかない。