変な話ですけど、不合格になった学生が、私のところに来て泣くんです。特に三回受けてダメだったという学生は、悔いがないって言うんです。なぜ悔いがないかって言うと、在学中も卒業してからも一生懸命勉強したから、問題文を見て解答すべきことは全部分かったけれども、上手く答案をまとめられなくて、結局時間切れになったと言うんです。そういう話を聞いている僕が何を考えるかっていいますと、問題文を見てこの問題はこんな風に答えればいいんだ、というのがすぐに分かるようなレベルにして、尚且つそれを2時間くらいの時間できちんと合格答案

http://www.houterasu.or.jp/fukuoka/content/newsletter7.pdf

平成23年2月、九州大学内において、『市民のために活動する弁護士の養成のあり方と今後の法テラスの役割』について法テラス福岡 吉野正所長と九州大学大学院法学研究院 西山芳喜教授が対談を行いました。

(コメント)
まっすぐなものほどひどい目に遭うな。。

※参照


http://www.soumu.go.jp/main_content/000101572.pdf

試験について:

LSでは判例に対する批判や理論構成も含め「深くじっくり考えること」を教えられる。しかし試験にはそれでは対応できず、むしろ試験では違う能力を求められているのが現実である。

LSや制度側は論証主義の勉強法を批判する。しかし論証暗記をした者と論証暗記をしていない者のどちらが点数をとれるかと考えた時に、前者が勝つことは明らかである。なぜなら、試験では何よりスピードが求められるからである。およそ30分程度で大量の文章を読み構成を練り、残り約1時間半でA4の8ページ、少なくとも6ページ程度を書かなければ事実上合格はできない試験となっている。そのようなスピードを求められる中で、その場で考えていたのでは追いつかない。質的に追いついたとしても量が書けない。量が書けないと、採点ポイントについて触れていないか触れていたとしてもわずかであるという可能性が上がる。結果、もはや一定程度吐き出すだけの前者に比べて点が取りづらくなる。論証についても同じである。その場で論証を練り考えていては、学者や判例の考えた論証つまり一字一句正確な論証を覚えてきた者には、質でも量でも勝てないのである。これは、法学界における模範的論文=いわゆる論証形式、という事実が確立してしまっていることにもよるものだと思われる。いかに内容で深く考えていても、法学的論文形式を満たさなければ採点評価において消極的な影響は免れない。これは印象であるが、法学界では一文一文が長くつながった文章は読みづらい、という評価がされる傾向にあるとも感じる。

このような前提に立った試験はいかがなものかと感じる。LSで教えられたことは何だったのだろうか。LSで日々考え抜いた問題・課題の数々は何だったのだろうか。結局、言い回しを覚えてきた者論証を用意してきた者が有利な試験、そして書く速さを競う試験なのだろうか。試験委員や採点者の方々には、一度自らの手で時間内に筆記で答案を書いてほしい。どれだけのスピードが要求されているかわかるはずである。そしてぜひ一度、受験者全体の平均的筆記量を調査してほしい。もし仮にそれが6ページ程度なら、解答用紙も6ページ程度の配布に抑えて欲しい。そうでなければ、筆記速度が速い受験生ほど有利になり、本来試験で試すべき能力とは異なる要素に合否が影響される可能性が高まるからである。