学生の多大な経済的将来的リスク負担と引き換えに国と大学・予備校が潤う、これが今のLSの姿である。

法科大学院(法曹養成制度)の評価に関する研究会報告書」に対してお寄せいただいたご意見(平成 23 年 1 月 31 日受付)
http://www.soumu.go.jp/main_content/000101572.pdf

LS制度が生み出した受験生の苦悩を「問題だ」と言うだけで放置するのはいい加減にしてほしい。多大な学費負担と借金を背負わせ、LSでは試験対策排除理念のもと試験勉強はさせてもらえず、LSでの学業が終われば低合格率の試験を受けさせるために事実上無職という立場で社会に放り出す。学生の多大な経済的将来的リスク負担と引き換えに国と大学・予備校が潤う、これが今のLSの姿である。日本社会で既卒無職という立場がいかに将来不安の酷い立場かわかっているのだろうか。
現状の低合格率状況に対する言い訳として「法曹だけではなく法務職へのLS卒者流入をも念等に置いたシステム」と言われることがある。おそらくアメリカの状況を想定しているのだろうが、この言い訳には無理があり、まさに机上の空論としか言いようがない。何より、日本には法学部が存在するからである。法学部の無いアメリカのような状況にはなりえない。アメリカでは法学部が無いため、LSを卒業しても法学経験者としての法務への受け皿がある。新卒採用偏重主義ではなく、既卒だからといって就職が著しく不利になる状況はない。しかし日本は違う。法学部卒の方がLS卒よりも若く雇用しやすいし、新卒である点でも法学部卒を採りたがる。法務は現場で学ぶものという理解もその傾向に拍車をかける。そもそもLS生に就職活動を求めることを前提とした上記議論は成り立たない。何故ならLS教育は試験対策を封じている上課題ばかりで忙しく、また必修科目が多い上に出席要件も厳格であるため「就活のために授業を欠席」などすればそもそも卒業が危ういため不可能だからである。法曹養成を掲げた大学側制度側がそれを目指す学生に他の道もあるなどと言うことは背理でもある。結果、LS卒業者は法曹になれなければ事実上法務に就くことは難しく、無職既卒者として路頭に迷うしかない。年齢が若ければまだ他の道に行くことも可能ではあろうが、年齢が高ければその選択も非常に困難である(20代後半30前でも非常に厳しい。それほどLS卒者に需要が無い。)。LSに飛び込んだばかりに無職になる危険が不合格率の数値分(70%以上)存在するのである。法学部卒が事実上大半を占める現状で未修者に不利なのも当然である。未修・社会人をも含めた多様な人材を入れるというLSの本来の理念とは反する状況であることは明らかである。
本気で現状について問題と思うのなら、次のアクションを採るべき。
1.合格者数と入学者数を合わせるために法科大学院数若しくは一法科大学院の生徒数を制限し、せいぜい両者の比を1:1.2程度にする。その点こそが全ての制度設計の前提だということを国は当然理解しているはず。それなら問題を問題と言うだけで毎年毎年先送りせずに、根本を改革するべき。
2.それができないのなら、法学部を廃止するべき。LS制度は本来法学部が無い状況を前提とした社会の制度であり、法学部が無ければまだ上記状況は改善される(法務職への流入が可能になり、未修と既修の事実上の壁もなくなる結果、多様な経歴を持つ人材が流入しやすくなる)。事実、韓国でも日本と同時期にLS制度を創設したが、その際韓国は全法学部を廃止するという大きなメスを入れる英断を下している。韓国でも出来たことが何故日本ではできないのか。それは法学部という既得権益や現状利益を大学や国が手放したくないからにほかならない。彼らは何かと理由をつけて法学部の価値や改革の困難性をアピールしLSとの併存を図ろうとする。しかしこの両国の判断実行力の差異が、学生に苦悩を強いるばかりでなく、10年20年後必ず法律業界の明暗を分けることになるのは既に目に見え始めている。
3.そして法学部を撤廃できないのなら、せめて5年で3回という意味不明な制限をなくすべきであり、もしどうしても5年制限を設けたいのなら5回チャンスを与えるべきである。2,3年かけてLSの方針に従いLSの学業に勤しんだ者が、いざ放り出されて試験を前にし、1年という貴重な時間を棒に振るかどうかに頭を悩ませなければならないこの制度は、そもそも受験者過多を前提としたものである点LS制度の欠陥を裏付けているし、悪しき現状制度自体を守るだけのために存在する制度であるといえる。いい加減に、受験生一人一人が人生の先行きの見えなさに苦しんでいる事実を具体的に直視し実感すべきである。過去旧試験でそれこそ5度以上も何度も諦めずに受けて合格した受験生達、社会人から転身した受験生達が、現在法曹界では大活躍している。3回の不合格が能力不足を意味するのなら、彼らの活躍は何なのだろうか。3回制限に全く理由が無いことは明らかである。そもそも3回制限は高合格率を前提とした制度なのだから、明らかに前提が崩れた今、傍観・様子見をするのは制度運営側の怠慢である。即刻対応を行うべきである。
試験について:
LSでは判例に対する批判や理論構成も含め「深くじっくり考えること」を教えられる。しかし試験にはそれでは対応できず、むしろ試験では違う能力を求められているのが現実である。
LSや制度側は論証主義の勉強法を批判する。しかし論証暗記をした者と論証暗記をしていない者のどちらが点数をとれるかと考えた時に、前者が勝つことは明らかである。なぜなら、試験では何よりスピードが求められるからである。およそ30分程度で大量の文章を読み構成を練り、残り約1時間半でA4の8ページ、少なくとも6ページ程度を書かなければ事実上合格はできない試験となっている。そのようなスピードを求められる中で、その場で考えていたのでは追いつかない。質的に追いついたとしても量が書けない。量が書けないと、採点ポイントについて触れていないか触れていたとしてもわずかであるという可能性が上がる。結果、もはや一定程度吐き出すだけの前者に比べて点が取りづらくなる。論証についても同じである。その場で論証を練り考えていては、学者や判例の考えた論証つまり一字一句正確な論証を覚えてきた者には、質でも量でも勝てないのである。これは、法学界における模範的論文=いわゆる論証形式、という事実が確立してしまっていることにもよるものだと思われる。いかに内容で深く考えていても、法学的論文形式を満たさなければ採点評価において消極的な影響は免れない。これは印象であるが、法学界では一文一文が長くつながった文章は読みづらい、という評価がされる傾向にあるとも感じる。
このような前提に立った試験はいかがなものかと感じる。LSで教えられたことは何だったのだろうか。LSで日々考え抜いた問題・課題の数々は何だったのだろうか。結局、言い回しを覚えてきた者論証を用意してきた者が有利な試験、そして書く速さを競う試験なのだろうか。試験委員や採点者の方々には、一度自らの手で時間内に筆記で答案を書いてほしい。どれだけのスピードが要求されているかわかるはずである。そしてぜひ一度、受験者全体の平均的筆記量を調査してほしい。もし仮にそれが6ページ程度なら、解答用紙も6ページ程度の配布に抑えて欲しい。そうでなければ、筆記速度が速い受験生ほど有利になり、本来試験で試すべき能力とは異なる要素に合否が影響される可能性が高まるからである。

(コメント)
説得力あるなあ。
法学部を廃止すれば、確かに法務部への就職は開けるかもね。