【階総務大臣政務官】 確かに合理的に考えたら、こんな選択はあり得ないと思います。 【郷原座長代理】 あり得ないです。

法科大学院(法曹養成制度)の評価に関する研究会(第3回)
平成22年8月10日(火)14:00〜16:00
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/houkadaigakuin/33284.html
http://www.soumu.go.jp/main_content/000102064.pdf

郷原座長代理】 先ほど山田委員が投機的とおっしゃいましたけれども、全然投機が成り立
っていないことは間違いないと思います。投機であれば、中には運のいい人が、いい思いをす
る人が中にはいなければいけないはずなんですけれども、非常に少ないというか、せいぜいト
ントンぐらいで、大部分の人間は大きなロスです。しかもそのロスというのは、常識的に考え
ると、どうしてそんな中に入っていくのかということが不思議になるほどのロスだと思うんで
す、大部分の人間にとって。では、何でそれでも何とか定員が維持できているんだろうという
のがちょっと不思議になるんですけれども。私がロースクールにいたときの実感からすると、
行き場のない若者たちというのがいるんです。ほかに行き場のない若者たちが。積極的に選ぶ
のではなくて、ほかに行き場がないから、そこに行くしかないという人たちがどうしても最後
のところ、そこのところにある程度入ってくる。それともう1つは、最初からほかの職業に適
性がないという人もいるんです。法曹資格者、裁判官とか検察官とか、そういうような仕事を
ずっと目指してきた人間というのは、条件が悪くなろうが、何しようが、やはりその目指す道
に行かざるを得ない。そういうような両面からの行き場のなさみたいなものが何とかこの今の
ロースクールの入学者を支えているような状況というのは、このまま続けていくことはものす
ごく大きな問題だと思うんです。
結局、そうなってしまったことの1つの根本原因に、法曹資格者というものには、もともと
担っていた機能があって、それと将来こういう機能も弁護士に担わせようではないかと思って
いたこととの間に相当大きなギャップがあるのに、それを今の司法修習制度というので、同じ
教育、同じロースクール、同じ司法修習という教育のもとでやっていこうとしたこと自体がも
ともと無理だったのではないかと思うんです。法廷で裁判官とか検察官とか、あるいは弁護士
として活動していく部分においては、やはりある程度の能力というものがないとうまく行かな
いという面があるんですけれども、でも、民間ベースでやっていく仕事であれば、その要求
れる量というのは、需用者側が認めてくれればいいわけですから、マーケットメカニズムでや
っていけばいいんです。それを一緒にしてしまったために、どちらのほうもうまく行かなくな
ったということなのではないか。
【階総務大臣政務官】 確かに合理的に考えたら、こんな選択はあり得ないと思います。
郷原座長代理】 あり得ないです。
【階総務大臣政務官】 投機にすらならないって、確かにおっしゃるとおりだと思いました。
【山田委員】 それにつけ加えて言えば、就職状況が悪くなると、大学院入学生が増えるとい
うのがありますので、もしこれで、仮に就職状況がすごく好転したら、ますます法科大学院
行く人が少なくなるのではないかとちょっとおそれるところもあります。
【谷藤座長】 幾つかの法科大学院の方々に聞いても、今ご指摘にあったことはどこでも指摘
されていることで、総体的に社会人の方から入ってくる方々の能力が著しく落ちているという。
まさにそこしかないからだという選択で、そこにいれば、コストとどれだけのリターンがある
かという配慮ではなくて、ほかに行くところがないから、最後のかけみたいなところでそこに
入る社会人が多くなって、結局合格にもつながらない。
【櫻井委員】 というか、第三者評価があるものですから、私は第三者評価はあまりよくない
と思うんだけれども、ただ第三者評価があるので、そこはどちらにしても批判されるんだけれ
ども、そもそも入れないようにして、合格率が下がってしまうと困ってしまうので、大学側と
してはむしろそこは自己抑制して、入れないというふうにしているという面もあるんです。
それで、もう1つ思うのは、この法曹養成制度の側の問題を大学側から見ますと、もともと
何でこんなふうに全国的に盛り上がったのかというと、1つは、従来の法学部教育が全く教育
していなかったというのがありまして、それはほんとうに身につまされるところで、東大法学
部の授業が典型だと思うんですけれども、大学の先生が1人だけいて、あとは600人ぐらい
相手にして授業をやっているだけで、ほんとうにコストゼロなんです。教室代だけといいう感じ
で授業をやっていて、ほとんど教育らしい教育は何もしない。私の学生時代もそうでしたけれ
ども、当時、教育しないのが教育だとか何とかって言っていて、それで、私も大学の教員にな
って、似たようなやり方でやるわけです。ただ、東大ではないから、ちょっとそのビジネスモ
デルは必ずしも通用しないところがあって、だんだん社会化してくるというところがあったん
ですけれども。いずれにしても、法学部で働く教員というのは、こんな教育で世の中が通ると
思わないという感覚はみんな持っていたんだと思うんです。それで、そのときにロースクール
構想が出てきましたときに、そうだよなという気持ちがあって、こんなのではだめだ、きちん
と少人数で相対で議論するなり何なりして、それなりに法律教育をしていかないとまずいだろ
うというところで、当時最初の原案では、やはり法学部をなくしてロースクールをつくるとい
うのが基本的に発想としてあったわけで、そういうところでみんなが納得するところがあって、
ロースクール構想はガッと広がったんだと思うんです。ところが、実際には、いや、しかしロ
ースクールはつくります、だけれども、法学部もやはり残しておきたいというのがまさにあっ
て、それで結局、今みたいな二重に、屋上屋を重ねるような形になってしまったというところ
で、そこはすぐれて政治的な意味合いがむしろあったのかというふうに思うんですけれども。
だから1つはそれがありますね。だから、法学教育というのが何なのかということと、法律の
専門性というのは、一体何なのかというところが、どういう形でトレーニングするということ
が、実務的にニーズがあるのかというところが見極められないと、なかなか視点が定まらない
というふうに思います。
それから、リターンの話も、私のイメージは少し違っていまして、やはり大手のローファー
ムに入るような方というのも結構いたので、弁護士さんになってものすごく儲かる人というの
がいるわけです。ただし、サイレント・マジョリティは法律家になりたいと思う人は、かなら
ずしもそういう人は少数派で、やはり正義が大事とか、きちんと弱者を救済したいとか、それ
から、市場マーケットに乗らないような仕事をこつこつとやりたいとか、そういう人たちとい
うのがやはり支えていることは間違いなくて、そういう人たちがまじめに学んで、まじめに法
曹を担って、過度のマーケットの圧力に負けないでいい仕事ができるような環境を整えていく
というニーズはやはりあるんだろうというふうに思っていまして、そこはロースクールにせよ、
法曹制度にせよ、司法試験にせよ、何かしら守ってあげるような仕組みというものは実はあっ
たほうがいいのだろうかと思うんですが、歩留まりがどうかということで、どうかな。現在が
どういうふうに評価できるのかという問題はあると思います。
【階総務大臣政務官】 済みません、1点だけ弁解させていただければ。僕は別に経済的なリ
ターンだけが目的で弁護士を目指したわけではないというのと、先ほど言ったのは、一社会人
受験者の立場に立って考えた場合です。社会人の場合、仕事を持ちながら、そういうものにチ
ャレンジするときにどういうことを考えるかということで、多分ビジネスの第一線で働いてい
るような人はそういうことも1つ考えると思うんです。合理性、合理的な選択としてこれは成
り立つんだろうかということを考える。そうすると、いくら学校のほうでも合格率が上げるた
めに優秀な人をとろうとしても、そもそも申し込んでいる人は、合理的な選択ができないよう
な人が来るわけだから、偏差値はよくても社会に出て通用する人が来るんだろうかという感じ
が、ちょっと極論になってしまいますけれども。

(コメント)
まあ。。そうだねえ。